プロローグ


 文芸部室に赴いた俺が、団長席のパソコンを立ち上げてみたのは、多分ちょっとした気まぐれ、たまたま判らんことを騒ぎ立てて俺の思考を撹乱するハルヒも、ボードゲームの相手をしてくれる古泉もまだ来ておらず、手持ち無沙汰だったからだと思う。
 このパソコンもあのしょぼいSOS団のHPを作って以来、学園祭で上映したあの映画を編集したり、あと、お隣のパソ同との対戦時に活躍したりとまあそれなりに使われたといえば使われているのだが、平時はやはり出番が無く、長門並に存在感を失っていた昨今なのだからたまには使ってやろうと思った次第である。まあ、出番がないといえば例のゲーム対決で手に入れた団員用のノートPCも部室の隅のテーブルに積み上がったままこのデスクトップ以上に出番が無いわけだが、PCを使う明確な目的も無いのにそれをわざわざ持ってきてコンセントを引いてなんて面倒なことを俺がする筈も無い。
 視界の隅では長門がいつものポジションで分厚い何語で書かれてるのか判らん本と一体化したように置物と化している。朝比奈さんは、俺と長門にお茶を配った後、自分のお茶を持って椅子にちょこんと座り殺風景な文芸部室に華やかなワンポイントを添えていた。
 俺は朝比奈さんの入れてくれたお茶を堪能しつつ、OSが起動するのを待って、とりあえずブラウザを立ち上げた。
 それは、デフォルトに設定されていたSOS団のしょぼいホームページが表示されたと思った直後のことだ。
 俺は強烈な眩暈に襲われ、貧血になったかのように視界が暗くなり、身体の感覚がおかしくなった。その感覚は一瞬で終わったが、気が付くと俺は机に手を付いて椅子からずり落ちそうに傾いた身体を支えていた。


 YUKI.N> このプログラムが起動するのは一度きりである。実行ののち、消去される。非実行が選択された場合は起動せずに消去される。Ready?_


 そのとき目に入った画面にはお馴染みのOSの画面ではなく、真っ黒の背景に白っぽい文字が浮かんでいた。そのメッセージは俺の脳裏に残像を残してすぐさま消え去り、すぐに何の変哲もないOSの起動画面が表示された。
 なんだ? PCがリセットされたのか?
 そう思ったが、すぐにそんな生易しいことではないとすぐに判った。
 何故なら、さっきまで向き合っていた液晶式の最新型パソコンモニタが古くさいブラウン管式に変わっていたからだ。
「……なんだこりゃ?」
「ちょっと、どうしたのよ!」
「うぉ!?」
「なに? 変な声出して」
 いきなりすぐ近くからハルヒの怒鳴る声が聞こえたから驚いたのだ。
 いつの間に背後に来たんだ? おまえは忍者か?
 まあ、ハルヒはスポーツ万能らしいからそのくらいのスキルを持っていても別に驚きはしないが。
「なんだよ、遅かったじゃないか、何してた……?」
 振り返ると同時に俺の思考は硬直した。
 俺の目に映ったハルヒの服装は上がTシャツで下はジャージのズボン。どういうわけか頭の後ろで括った髪の毛の先には腰まで届く程の長い尻尾をぶら下げていた。身体を捻って向こうを見ればこの寒いのに体操服の半袖短パンを来た古泉がいつもの薄笑いを顔に貼り付けている。更にメイド服で優雅に自分で入れたお茶をすすっていた筈の朝比奈さんはどういうわけか北高の制服姿でなにやら縮こまっている。
 そして俺が固まった一番の理由。
 部屋の隅で椅子に座りハードカバーの本を抱えているのは長門だよな?

 なんでそんな不安そうな顔で俺を見つめているんだ――。

 息苦しくなるような胸が締め付けられる感覚。
 なんだよこれは。
 俺はハルヒのこのスタイルを見たことがある。ジャージは俺のを借りて、長い髪はポニーテール。ハルヒが北高に侵入する時にした変装スタイルだ。忘れるものか。長門がおかしくなって世界を改変した、あの世界の三日目。あの日ハルヒ達を伴って文芸部室に行った時、長門はちょうどあのように不安そうな顔をして俺を見ていた……まさか?
「ちょっとジョン、説明しなさいよ! 何があったの? いま倒れそうになったわよね?」
「ジョンだと?」
 そのまさかだった。
 古泉がこのクソ寒いのに半袖短パンで震えているのはまあ置いとくとして、ハルヒが何を思ったかTシャツジャージにポニーテールのウィッグを付けてると考えたとしても長門が冗談でもあんな表情をするとは思えねえ。あいつは頼まれてもたいした表情は作れない筈だ。そして決定的なのはハルヒが俺を呼ぶ名だ。『ジョン』という名前はまだハルヒに話していねえ。いやあれは『切り札』として取ってあるのだ。
 俺を『ジョン』と呼ぶハルヒ、それは即ち――。
「ジョンはジョンでしょ? 何でそんな顔してるのよ? 大丈夫なの? それに今のは何? 緊急脱出とか時空修正とか、あんたの悪戯なの?」
 至近距離に顔を寄せてマシンガンみたいに捲し立てるハルヒに俺は手をあげて制止した。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、今日は何月何日だ? おまえはハルヒだよな?」



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