「なあ、俺、思うんだが」
 翌日、授業中は朝倉の恐怖に耐えなきゃならなかったのだがそれは省いて、放課後の超SOS団の会合でのことだ。
「なによ」
 ハルヒは機嫌が悪い。
 たった一日なにも成果が上がらなかっただけでもう面白くなくなったようで、ハルヒは注文したアイスカフェオレをストローで突付いて氷をがちがち鳴らしながら口をアヒルにしていた。
 まあ飽きっぽいといえば飽きっぽい奴だが、もしかして昨日俺が思ったみたいに無意味さに気付いたのかもしれんな。
 こうなってくると、当初から日和見を決め込んでいる古泉や、ハルヒの隣で小さくなっている朝比奈さんも何も言えるはずも無く、長門に至っては一人外れた席に座って新刊のハードカバーに挑戦していた。まあこの長門の場合、俺が発言すると戻って来るんだが。
 で、俺の提案だが。
「やみくもに探すより、まず身近なところから洗ったほうが良いんじゃないか?」
 俺がそんな発言をしたのは、歩き回るのが面倒になったという理由もある。いやそれが9割方占めているんだが、下手すると長期戦になりそうなこの状況だからな。もちろん、手がかりを探す手間を惜しむつもりは無い。だが無駄な手間は省くべきだ。
「身近って何処よ?」
「え? あー、そうだな」
 しまった、そこまで考えていなかった。ハルヒの無計画さが移ったか? それは不味いな。
「とりあえず、長門の家とか?」
 特に意味は無かった。単に活字を追うことを止めこちらを向いた長門の眼鏡顔が俺の視界の隅に映ったからだ。
「有希ちゃんの家?」
 眼鏡の奥の長門の視線はしっかりと俺を捕らえていた。
 いや、そんな不安そうな顔をするのは止めてくれ。頼むから。
「あーすまん、適当に言った。例えばの話だよ。だからそうだな、北高とかはどうだ? 一応前の世界ではみんな北高生だったんだから、手がかりがありそうじゃないか?」
 不機嫌な顔をしていたハルヒは一寸俺を見つめて沈黙した後、表情を変えた。
「なかなかいい着想じゃない。なんでもっと早く言わないのよ!」
 こいつ、機嫌直ったぞ? 目を輝かせていやがる。俺は嫌な予感がするんだが。
「そうね。犯人は必ず現場に帰るっていうし、うん」
 ひとりで頷いている。この次にこいつが何を言いだすのか当ててやろう。ハルヒは必ずこう言うはずだ。
「これから北高に乗り込むわよ!」
 ……とな? やっぱりだ。


「タクシーは呼ばんのか」
 我らが超SOS団は喫茶店を出て北高へ至る坂道を見上げる場所に集合していた。
 偉そうな名前がついてはいるが、周りから見れば単なる北高生と光陽園生の混成集団だ。
「北高への通学路はもう捜索対象よ! 何か見つけたら即報告。いいわね!」
 いつの間に作ったのか、ハルヒは『団長』と書かれた腕章をつけていた。
 知ってるぞ、これは次は『大団長』、最後は『超団長』に進化するんだ。 
 しかしなんてこった。
 今日はまた通学ハイキングコースを2往復じゃないか。
 まあハルヒが上機嫌だから俺はべつにかまわんが。いや、このハルヒは不機嫌でも妙な空間を発生させたりしないから別にかまわんのだが、俺の潜在意識のトラウマがハルヒの不機嫌はヤバイと告げるのだ。ちなみにハルヒは不機嫌でも上機嫌でも馬鹿なことを考え出して俺を疲弊させることには変わりが無いからそっちはここに来る前から諦めがついている。
 肩をすくめて苦笑する古泉も、坂を見上げて「ふぇっ」とか呻いた朝比奈さんも特に反対意見はなく、幽霊のように横に立っている長門は表情が良くわからないがとりあえず黙って従うつもりらしい。宇宙人でも未来人でも超能力者でもない筈のこいつらがハルヒに従う理由は無いはずなんだけどな。


 長い髪を揺らしてスキップするように軽快なハルヒを先頭に、俺達は揃って徒歩で延々と坂道を登り続けた。
 探せといわれても何を探したものか。
 もう下校する生徒も殆ど無く、よく掃除された道にはたまに枯葉が落ちているくらいで殆ど何も落ちていない。まあ、かといってゴミや落し物で一杯の通学路なんて俺はご免被りたいが。
「なにかありますね」
 最初何かを発見したのは古泉だった。
「誰かが落としていったんだろ、珍しくも無いお知らせのプリントじゃねーか」
 古泉が拾い上げたのは裏に落書きの書かれた積立金のお知らせのプリントだ。
「この図形はなかなか興味深いですね」
 なんだ? と思って古泉の手元を覗き込むとプリントの裏になにやら落書きがあった。
「店の場所かなにかを説明した地図だろ?」
 よれた線と乱雑に書かれた丸印が書き込まれていた。まあ今の俺たちには関係ないだろう。
 だが、ハルヒはそのプリントを俺に押し付けた。こんな物どうするんだ?
 その後、古泉に倣ったのか、長門が100円ショップで売ってるような洗濯バサミっぽい髪留めを見つけ、朝比奈さんが透明なプラスチック製の30センチ定規をみつけ、どちらも俺の手元に回ってきた。
 全然関係ない代物(ごみ)だと思うのだが、ハルヒは戦利品として文芸部室まで持っていくと言っているのだ。 なに考えてるのかさっぱりだ。
「何言ってるの! 手がかりは多い方がいいに決まってるでしょ!」
 だそうだ。
 ようやく我が北高の校門が見えてきたところで俺はハルヒに訊いた。
「変装はしなくていいのか?」
「その必要はないわ。今度は忍び込むんじゃなくて超SOS団の公式訪問なんだから!」
 おまえのその自信はいったい何処から来るんだ?
 同好会でないのは言うまでもないが、今回は他校生も混じってますます訳のわからん団体がいったい何の公式訪問なんだか。
 そうだな、いざとなったら朝比奈さんと一緒に他人の振りをしよう。長門は黙っていれば巻き込まれることも無かろうし、そうすればハルヒと古泉がつまみ出されるだけで済む。まあ最悪、学校に連絡がいけばなにかしら処分があるかもしれんが、ハルヒはそのくらいでめげるとは思えないから大丈夫だ。古泉のことはしらん。
 俺がそんなエマージェンシープログラムを頭の中で考えているうちに、ハルヒは先頭を切って下校中の北高生の注目を浴びるのも気にせずにずかずかと校門に入っていった。
 と、まあ、ここまでは比較的順調だったように思う。


 雲行きが怪しくなってきたのは、校舎に入って朝倉涼子と遭遇したあたりからだ。
 このとき俺は教師に見つかってつまみ出される方がよほどマシだと思ったね。
「あら、キョン君、有希と一緒に帰ったんじゃなかったの? 何をしてるの?」
 艶やかな長髪を揺らして笑顔で歩み寄ってくる朝倉を見て俺は緊張した。
 こいつに会ってしまうなんて、ツイてないぜ。
 朝倉は俺が長門と校門を出て行くのを何処かで見ていたようだ。
「その人たち光陽園の制服よね? 文芸部の活動か何かかしら?」
 朝倉の視線がハルヒと古泉の方を舐める。
 並んで朝比奈さんと長門も居たが、そっちは一度視線をやっただけでスルーした。
 いや、廊下にいきなり他校の制服が居れば嫌でもそっちに目が行くであろう。更に悪いことにハルヒは容姿もなにかと目立ちまくるからな。
「い、いやそのなんだ、ちょっとしたサークル活動で今日はこっちで会合なんだ。はははっ……」
 一応嘘ではないが、これでは悪事を働こうとしてその前に見つかってしまった悪者の言い訳みたいだ。
「他校生も一緒に? それにキョン君、もう文芸部に入ったの?」
 朝倉は顔こそ笑顔だが、これはこいつの普段のスタンスであって、明らかに疑っていることが言説の端々から見て取れる。長門が文芸部だから校外活動の文芸サークルか何かだと思ってくれればいいのだが、俺がそれを言うのはいかにも嘘っぽい。自分でそう思うくらいだから朝倉に対して説得力はゼロだろう。そんな俺の窮地に輪をかけるように、朝倉の視線の向こうでハルヒの口がアヒルになっていた。
 ああ、判ってるって。
 ハルヒは自分が話の中心に居ないのが面白くないのだ。とりあえず、俺と朝倉の一対一の状況を何とかしよう。
「紹介しよう、こいつは朝倉涼子、俺のクラスの委員長だ」
 そう言うと、古泉が一歩前に出て話し始めた。
「そうでしたか、はじめまして、僕は光陽園高校の古泉一樹といいます」
 そして、いつもの微笑みを顔に貼り付けたまま気障ったらしく会釈した。
「あら、朝倉涼子です、はじめまして」
「実は僕たち、文芸部というわけではないんです」
「そうなんですか?」
「ええ、今日は長門さんにお願いしてこちらの部室を使わせていただくことになっているんですよ」
 談笑というのか? 古泉と朝倉でなにやら爽やかに会話が始まっていた。どうやらこの二人、会話の相性は良いようだ。
 二人の社交辞令のようなやり取りの隙に、俺はハルヒの腕を掴んで廊下の隅に連行した。
 今にも朝倉に喰らいつきそうな顔してたからな。ややこしいことにならないように、ハルヒの好奇心は俺が満たしてやることにしたんだ。
「ちょっと、朝倉涼子ってあんたの話に出てきた奴じゃない」
 早速ハルヒが噛み付いてきた。
 そうだ。 あいつには二度殺されかけたんだ。この世界での朝倉は人格障害者(パラノイア)。偏執的に長門を守ろうとする殺人鬼。このことはハルヒだけに伝えてあった。
 皆に俺の経験したことの話をしていた時に、俺が朝倉に刺された時の長門の表情を思い出したからだ。だから長門が聞いている時はその話は省いて、後でまた色々聞いてきたハルヒだけにその話をした。
「とりあえず、下手に刺激しないでくれ。あいつは俺の後ろの席なんだ」
「知ったこっちゃないわよ、どうなの? 宇宙人の手先だったっていうじゃない?」
「この世界じゃ違うだろ?」
 俺がそういうとハルヒは俺をじっと見てから言った。
「ふうん、まあ、いいわ」
 とりあえずハルヒは大人しくしてくれそうだ。
 まあ、朝倉も人目のある校内で暴れだすことは無いと思うから、無理に波風立てることもあるまい。
 古泉はどうやら頼んでもいないのにここに居る言い訳をしてくれているようだ。嘘を混ぜてはいるが、極めて常識的な対応をしている。俺とハルヒが睨みあっている間も古泉と朝倉のにこやかな談笑は続いていた。
「まあ、それは気になるわね」
「世の中には謎があったほうが面白いですから」
 古泉はサークルの活動は秘密ってことで通していた。一方の朝倉は活動内容より、飛び込みで文芸部室を使用することを問題視していたが、
「ふふ、わかったわ。有希が良いっていってるんならかまわない。先生には黙っててあげる」
 そう言って可愛らしく微笑んだ。
 話術だけで角を立てずに朝倉を納得させるとは大したもんだ。古泉は立ち振る舞いが一々癇に障る奴だったが、こういうときは役に立つようだ。
「助かります。僕の学校ではこうは行きませんからね」
「でも、次からはちゃんと許可を貰わないとだめよ有希?」
 そう言って朝倉は長門の方に視線をやった。話を振られた長門は僅かに頷いた。
 これで、とりあえず乗り切ったようだ。とりあえずだがな。
 しかし異様に疲れたぞ。人の顔色をみて立ち回るなんざ俺のキャラじゃねぇ。俺は基本的に傍観者で突っ込み役が似合っているんだ。


「よし。それではミーティングをはじめる!」
 ハルヒは文芸部室に入るなりそう宣言した。
「一応聞いとくが」
「なに、ジョン?」
 ジョンいうな。
「手がかり捜索はどうした」
「バカね、その為のミーティングじゃないの。でもやっぱり部屋があるのは良いわね。喫茶店じゃいまいち盛り上りに欠けるわ」
 人数分の椅子を出し、元々置いてあった長机を囲んで俺たちは適当に座っていた。ハルヒは机の窓際の短い辺のところで座らずに揚々とこの場を取り仕切っている。
 俺はそのすぐ横。正面には朝比奈さんが居心地悪そうにちょこんと座って、その隣は長門有希。ハードカバーの本を抱えて今にも広げたそうにしてはいるが、一応、話を聞く体制で協調性という点では、あの長門と比べたら天と地ほどの差だ。そして俺の隣は古泉。
「……まあ良いだろう、で?」
「まず必要なものね、パソコンは一応あるから良いか、お茶くらい出せないとね。となるとポットとあと冷蔵庫も欲しいわね。カップは各自持ち寄って、あとは……」
「まてや」
 ここは突っ込むところだろう。
「なによジョン、欲しいものがあるんなら言いなさい。聞いたげるから」
「違うわい! たった今、手がかり捜索のミーティングと言ったじゃないか! いつから蛸部屋作りの会合に変わったんだ」
「決まってるじゃない。超SOS団の活動拠点を固めるのよ。うちの高校にはこういう部屋ないのよね残念ながら。そうだわ物はゆくゆく集めるとして活動日を決めましょう。半日の土曜と午後選択授業の水曜はこっちでいいとして、あと残りは駅前の喫茶店に集合にしましょう。ただしもう短縮授業だから終業式まで年内は毎日ここね。いい?」
 ハルヒ一人が捲し立ててるだけでちっともミーティングではないのだが、SOS団の自称ミーティングとはこういうものなのだ。それは団名に『超』が付いても変わることは無かった。
「ほう、光陽園は土曜も授業があるのか。さすが進学校だな」
「なによ? こっちは無いっての?」
「ああ、基本は休みだ」
「じゃあ来なさい。いいわね」
「バカ言うな、学校と何の関わりも無い団体が勝手に部屋つかえるかよ」
「忍び込めばいいのよ! 校舎は開いてんでしょ!」
「あのなあ、校舎が開いてたってこの部屋の鍵はどうするんだ」
「鍵、あるから」
「ふぇ!?」
 今のは、存在感の無かった長門が突然発言して、俺とハルヒのやり取りに集中して長門の存在を忘れていた朝比奈さんが驚いた声だ。
 俺とハルヒも思わず言葉の応酬を中断して長門に注目した。
「長門、どういうことだ?」
「許可、取る」
「ああ?」
 表情はあるが言葉が足らない眼鏡っ子の長門。表情も無く言葉も足りない長門と判りづらさはどっこいだ。
「長門さんは、さっき朝倉さんに言われた通り、僕と涼宮さんを招いて活動を行うってことを許可申請すると言いたいのですよね」
 古泉の翻訳に長門は僅かに頷いた。
 そういえば朝倉がそんなこと言ってたな。
「大丈夫なのか?」
「問題ない」
「問題が起きるとおまえの責任になるぞ?」
「いい」
「よっしゃ! 有希ちゃん頼むわね!」
 こら。
 もう呼び名がちゃん付けになってやがる。
「じゃあ、ジョンは明日までにホームページを作っておくこと」
「なんだって?」
「ホームページよ、ホームページ! パソコンがあるんだから出来るでしょ? ちゃんと連絡先のメールも用意してね」
「超SOS団のホームページか?」
「決まってんじゃない、なに寝ボケたこと聞いてるのよ」
「一日で作れってか? ホームページ置くスペースとかどうするんだ」
 前と違ってパソコン研究会の『協力』は無いんだぞ。
「ある」
 長門だ。
「なに?」
「スペース、ある」
「そうなのか?」
「文芸部の」
「……ええと、文芸部のホームページがあるから、そこに間借りして作れば良いって言いたいのか?」
 長門は例によって無言で頷いた。
「あとメール、使ってないから」
 文芸部のメールアドレスを使っていいそうだ。
 そのあとハルヒが長門を捕まえてメールアドレスやらホームページのURLやらを聞き出してメモっていた。聞いてどうするつもりだ?
 それは翌日判明することになった。



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