夕飯はカレーだった。
 朝比奈さんのチョイスはオーソドックスに肉カレー。
 なるほど切って煮込むだけだから失敗も無いだろうし、カレーが嫌いな奴はそうそう居ないだろうから良い選択と言える。
 普通すぎてハルヒが文句いうかと思ったが意外と楽しそうに野菜を切っていた所を見るとあいつもカレーは好きなのだろう。
 女性陣が案外チームワーク良く働いたので水汲みとか雑用をしていた俺は早々に暇になった。下ごしらえで野菜の皮むきを手伝っていた古泉もだ。
 ハルヒは働いてるのに俺達が暇にしててなにか文句を言われるかと思ったら、あいつはこう言いやがった。
「あんたは黙って待ってなさい。びっくりするほど美味しいカレー作ってあげるから」
 眩暈がしてきそうなくらい上機嫌だ。どうなってやがる。
「まあ、良いことじゃないですか。彼女が機嫌が良いと僕も心が休まります」
 古泉は元の世界でも聞いたような言葉を口にしつつ、オセロの駒をひっくり返した。
 このオセロは昨日俺が持ち込んだやつだ。元の世界ではこの部室で最初に古泉と対戦したゲームだった。手が空いてからこいつとは既に何戦か交えているがやっぱり全然弱い。
「まあそうだが、……やっぱりアレは大変なのか?」
 俺はハルヒ達に聞こえないように声を落として言った。
 元の世界で見たアレはえらい迫力だったが、それと比べてこっちのはB級映画の特撮みたいだったぞ。まあそれも比較の問題なんだが。
「精神的に疲れるんですよ。僕は仲間に指示する立場でもあるんですから」
 そういうもんなのか。
 そういや、こいつは朝倉のことは気づいているのか?
 超能力が発現した時に色々判るらしいが、どうなんだ?
「その話は……」
 古泉は鍋をかき回しているハルヒの方を一瞥してから言った。
「……また機会があったらお話しましょう」
 相変わらずのにやけ顔だが、どうやら、古泉は勘付いているらしい。


 しばらく白黒をひっくり返しているうちに肉や野菜の煮える匂いに加えて、文芸部室に食欲をそそるカレーの刺激臭が漂ってきた。
 俺がそっちに目を向けると、丁度目が合った朝比奈さんが、
「もうすぐですから」
 そう言って微笑み返してくれた。
 ええ、朝比奈さんの作ったカレーが食べられるなら何時までだって待ちますよ?
 俺が朝比奈さんに笑顔のお返しをしているとハルヒが眉を眉間に寄せて怒鳴ってきた。
「ちょっと、ジョン! デレッとしてないで、さっさと食器の用意をしなさい!」
 なんだよ、さっきまで待ってろって言ってたくせに。
 まあよかろう。腹も空いたし、ここで無駄なエネルギーは消費したくない。
 ちなみに食器はパーティーの時使った奴じゃなくて、ちゃんと陶器の皿が人数分ある。
 スプーンも含めてこれもハルヒの戦利品だった。こんなもん備品にしてどうする気なんだか。
 備品といえば、いつからか長門が手持ち無沙汰になったらしくエプロンをしたまま活字の世界に行ってしまっていた。
 しかしまあ、朝倉からあんな話を聞いたせいだろうか、この長門も実は演技してるだけで『あの』長門と同じじゃないのだろうかと思えてくる。
 だって情報統合思念体とかいう親玉は居たわけだろ?
 視線に気づいた長門が顔を上げ、俺と目が合った。
 いや、ありえないか。
 長門は俺を見て微笑んだのだ。


 程なくして、カレーも仕上がり、盛り付けして揃っていただきますして、和やかにカレーの晩餐とあいなった。
「うん、なかなかの物ね。これならカレー屋やっても大繁盛間違いないわ!」
 ハルヒがしきりにカレーを自画自賛しているが、市販のルー使っておいて何を言ってるやら。
 ちなみにルーは朝比奈さんチョイスによる複数ブレンドだ。
 未来人の朝比奈さんは時々現代常識に疎いところがあってそこが欠点であり魅力でもあったのだが、こちらの朝比奈さんは程よく庶民的な知恵があってちょっとお姉さん的な所がますます魅力的だ。何? おまえは朝比奈さんなら何でも良いんだろうって? その通りだ。彼女の本当の魅力はそんなところには無いのだ。これは朝比奈さんの魅力を引き立てるスパイスのようなモノなのさ。
 そんな朝比奈さんは喋りながら器用にバカ食いするハルヒとは対照的に上品に少しづつカレーと飯を口に運んでいた。
 一方の長門だが。
「長門、食うの早いな? よく噛んで食べた方が良いぞ?」
 俺がまだ半分くらいしか食べていないのに長門の皿はもう空になっていた。
 確か、ハルヒが「小さいんだから沢山食べなきゃだめよ」とか言って長門の皿にも大盛りでよそってた筈だが。
「ごちそうさま」
 そう言って長門は皿を持って立ち上がった。
「何処行くんだ?」
「洗ってくる」
「暗いぞ?」
「平気」
「見回りには見つからないようにを付けるんだぞ」
「大丈夫」
 そう言い残してぽてぽてと歩いて部室を出て行ってしまった。
 まあ、見回りの時間はもっと遅くなってかららしいから大丈夫だろうが。
 そんな長門が戻ってきて部屋の隅で合宿用に用意したらしいハードカバーを読み始めた頃には、まだ食べているのは朝比奈さんと俺だけになっていた。
 人の観察ばかりしていたから食うのが疎かになっていたようだ。
「遅い! 合宿本番はこれからなのよ! みくるちゃんもとっとと食べちゃいなさい!」
 そう言いつつ、別に決めたわけじゃないのだが、長門に続いて古泉も食べ終わった食器を持って手洗い場に行ってしまったため、ハルヒもそれに倣って自分の食器を洗いに行った。
 そして戻ってきたハルヒはなにか楽しい玩具を見つけた子供のような表情で言った。
「夜の学校って何か事件が起こりそうよね?」
 またバカなことを思いついたのか?
 一応、突っ込んでおこう。
「起こるというか、あるとすれば怪談とかじゃないのか?」
「怪談大いに結構! 夜な夜な躍りだす人体標本、深夜に鳴り出す音楽室のピアノ、目が動くベートーベンの肖像画、突然動き出す二宮金次郎!」
 残念だがうちの学校に二宮金次郎象は無い。というかあれは小学校じゃなかったか?
「何だっていいわよ、ジョン、みくるちゃんも早く食器洗ってきなさい! この後は校内探索に出かけるわよ!」
 肝試しの間違いじゃなかろうか?
 ちなみに俺は既に事件といえば事件といえるショッキングな出来事を経験済みだがな。
 朝倉ももう帰った筈だし、次は遭遇するとしたら未来人か?
「朝比奈さん、行ってきましょう」
 俺は丁度食べ終わり口元をティシュで拭っていた朝比奈さんに声をかけた。
「あ、はい」
 廊下は長門によると明かり点けても大丈夫ということだった。確かにこの付近は校舎の死角になって宿直室からは見えない。
 手前のスイッチで廊下に明かりを灯し、俺は朝比奈さんと並んで手洗い場まで歩いて行った。
 そういえば朝比奈さんと二人きりになったのはここでは初めてだよな。
 並んで食器を洗いながらそんなことを思いついた。
 これで朝比奈さんが、
「実はジョン君に話したい事があるんです」
 なんて言ったりしたらアレだ……アレ?
「はい?」
 今、なんと言いましたか朝比奈さん?
 横を見ると朝比奈さんはその円らな眼(まなこ)を見開いて、いつに無く真剣な表情で俺を見つめていた。
 まさか朝比奈さんも?
「な、なんですか? 話したい事って?」
 いや、考えすぎだろ。俺。
 そりゃ、未来人に会えれば元の世界に戻れる確率が半端じゃなく上昇するけどな。
 でもこの時代の人である朝比奈さんが未来人になるなんて論理的矛盾だったはずだ。
 朝比奈さんは辺りを見回し、後ろの教室のドアの方を一瞥した後、言った。
「ここではちょっと。後で時間をとって貰えますか?」
「ああ、じゃあチャンスがあったら」
「はい、そうしてくれると助かります。わたしは朝倉さんの真似なんて出来ないので」
「……」
 俺、期待しちゃっていいっすか? 朝比奈さん。
 一番無理っぽい論理的矛盾を乗り越えて俺の前に現れてくれたって。
 なんだか明るい未来が見えてきた気がするぜ。
 「先に戻りますね」と言って部室棟の方へ歩いていく後姿を見ながら、俺は踊りだしたい気分になった。
 その後は団員で揃って校内お化け探しツアーだったが、俺は朝比奈さんの話とやらが気になって上の空だった。
 上の空といえば最後に屋上に上がってUFO探しまでやったが、結局幽霊もUFOも見つからず、最後は流れ星を探してお願いをするなんていう小学生じみたことを皆でしていた。
 まあハルヒはなにやら真剣に祈っていたようだが。
 そんなこんなでチャンスが訪れたのは皆が寝静まった後だった。
 時計を見れば深夜の2時過ぎ。草木も眠る丑三つ時ってやつだ。
 俺はトイレに起きだして部屋の外に出たのだが、トイレから戻ると文芸部室の前て朝比奈さんが待っていた。
「話って……」
「しっ」
 俺が口を開くと朝比奈さんは可愛らしく唇の前に人差し指を当てた。
 そうだな、皆を起こしては不味い。
 校舎内では音が響くのでと、朝比奈さんは屋上に向かった。
 屋上は基本的に出入り禁止だが、UFO探しで出ていたことでも判る通り、鍵が壊れていて何の問題も無く屋上に上がることが出来るのだ。