年末の深夜は流石に寒い。
 俺も朝比奈さんも上着を着こんでいたが、外気は冷たく、顔や手の肌が露出している部分が冷える。
 朝比奈さんが持って来た懐中電灯の明かりを頼りに夜景の見えるフェンスの傍まで行って俺たちは落ち着いた。
 学校を擁する山から見下ろす市街地の夜景はふもとから輝石をちりばめたみたいに広がって、海沿いの幹線道路沿いの一際大きな光点が一定間隔で並んでいる所まで連なっていた。
 朝比奈さんは年の瀬の冷たい風にその髪を揺らしつつ真摯な双眸を俺に向けて言った。
「ごめんなさい。こんな寒い中」
 朝比奈さんの吐いた息が白くなって懐中電灯の光に照らし出される。
「いいえ」
 あなたのためなら例え火の中水の中。何処へでもお供しますよ。
 なんて思いつつ、
「で、話ってなんですか?」
 少々の期待を込めてそう訊いた。
「えっと、多分ジョン君が考えてる通りだと思いますけど……」
 どうやら、期待が顔に出まくりだったようだ。俺は「はい」と答えて朝比奈さんの話の続きを待った。
「あたし、クリスマスパーティの後すぐに、ある所に行って来たんです」
「あるところとは?」
「未来の世界。ある人が迎えにきました」
 やはりか。そうきたか。
「ええと、誰が?」
「それは禁則事項なんです。その人は禁則事項、なんですけど、ごめんなさい、いえないことが多くて。 その人は、あたしをスカウトに来たようのものなんです。その、あることをあたしに依頼するために」
 禁則事項か。久々に聞いたな。
「その『あること』ってのも禁則事項か?」
「いいえ、それはジョン君と涼宮さんの監視です」
「俺もなのか?」
「ええ、あたしジョン君の話を聞いていたから、あの人もあたしなら適任で素質も在るって言うから、それで、そのまま未来に連れて行ってもらって、色々学んできました」
「色々って?」
「禁則事項です。でも時空を渡る訓練を受けました。そして、未来技術をこちらに漏らさないようにする為の暗示も受けて」
「ちょっと待ってくれ、それじゃ朝比奈さん、あなたはそこに結構長く留まったんですよね」
「ええ、でも行った時間に戻ってきたから」
 ああそうか。例え何年留まっても、元の時間に帰ってしまえば一瞬だな。
「じゃあ、今の朝比奈さんは時間を移動できるんですね?」
「ええ。帰りは自分で戻ってきましたから」
 そう言って朝比奈さんは懐中電灯の光の中で微笑んだ。
 そうか。それならば。
「朝比奈さん!」
「きゃっ!」
 俺に肩をつかまれて朝比奈さんは可愛いく声をあげた。
 だが俺には朝比奈さんを気遣う余裕なんて無かった。
「頼む、俺を12月18日以前の時間に連れてってくれ!」
「そ、それは……」
 朝比奈さんは俺の前で悲しそうな困ったような顔をした。
「出来ないんです」
「なんでだ? また禁則事項なのか?」
「い、いえ、どんなことをしてもその日より過去に行くことは出来ないんだそうです。あたしが選ばれた理由もそこにあるんです」
「理由?」
「はい、その、12月20日に何か時空の断絶があるというのが、未来の方々の見解で、どうやってもそれより過去に戻ることが出来ないんだそうです。その中心にいたのが」
「俺とハルヒか?」
「はい。でも中心にいるのはジョン君です。ただ24日に大きな時空震が観測されていてその中心に涼宮さんが。それがきっかけであの人はわたしに目をつけたんですけど、あたしはお二人の側で新たな時空変動がないか監視する、そう監視役なんです」
「じゃあ、駄目なのか」
 過去に戻って長門に助けを求めることは出来ないのか?
「はい。あたしが学んだ方法では不可能なんです……」
 そうなのか……。
 いや、俺も朝倉の話でそうじゃないかとは思っていた。だが、未来人の違うアプローチならもしかしたら、と期待もしていたのだ。
 結果は聞いての通りだったわけだが。
「あの、お役に立てなくてごめんなさい」
 朝比奈さんは、見ている俺が申し訳なくなるくらい目に見えてしょんぼりとした。
「いや、朝比奈さんが落ち込むことは無いですよ。でもどうして俺に話を? 俺も監視対象じゃないんですか?」
「だって、あたしがその話を受けたのはジョン君に……」
「俺に?」
 俺が聞き返すと、朝比奈さんは目をはっとして見開き、表情を変え、
「……き、禁則事項です!」
 慌てたように目を逸らしてそう言った。
 そうか。まあ、いずれにしろ、こうして未来人・宇宙人・超能力者が全部揃っも結局元の世界へのアプローチは出来ないことが判明してしまったわけだ。
「話はそれだけですか?」
 朝比奈さんは俺から元の世界の朝比奈さんが未来人だったことを聞いていたから、この話を俺に話してくれたのだと思っていた。未来人にアプローチされたということを。
 だが話はそれだけではなかった。
「いえ……」
 考えてみればおかしな話だった。
 話を聞いている間は、浮かれていて気がつかなかったのだが、わざわざ過去の人間に未来技術を明かしたり、果てはタイムマシンを与えてしまったり。そんなことをしたら未来が変わってしまうのではないだろうか? それともこれが既定事項だっていうのか?
 迷うようにしていつまでも朝比奈さんが話の続きを始めなかったので、俺はその疑問を口にした。
 朝比奈さんは言った。
「一つは既定事項で正解です。もう一つは禁則事項だったんですけど」
「ん? 『だった』?」
「ええ、でも禁則解除の条件を満たしたので一部を話す事が出来ます」
「条件ってなんです?」
「ジョン君がその疑問に気づくことと、その質問を私にする事です」
 そうだったのか。それは運が良かったのか悪かったのか。
「未来の方々が過去の人間である私に航時技術を託したのは未来が不安定だからなんです」
「不安定?」
「はい。今、未来は揺らいでいます。いえ、『今』という言い方は変ですね。とにかく揺らいでいるんです物理法則さえも」
「揺らいでいるって、どういうことなんですか?」
「未来の世界では技術も人も歴史も不安定でいつ消えてしまうか判らない。そういう状況に陥っています」
「それって、俺が今生きているこの世界の未来ですよね?」
「はい。未来のある時点、だいたい航時技術が発明された頃と時を同じくして、そこから先はその揺らぎが大きくなる一方なんです。このまま行くと近い将来、世界は人も技術も物理法則さえも意味を成さないような混沌としたものになってしまうかもしれないって」
「最初その原因が航時技術事体にあると思った科学者達は急いで理論を構築してその原因を検討しました。でも見方の違ういくつかの理論から検討しても航時技術そのものに問題は無かった。タイムパラドックスの解決が航時技術の完成に不可欠だったから逆説的に問題が起きる筈が無かったんです」
「やがて、調査にあたっていた科学者達は、航時技術以前で唯一『揺らぎ』がある事象を発見しました。それがこのジョン君やわたしが居る時代に頻発している時空震なんです。この時空震と未来の揺らぎに何らかの関係があると考えた未来の人たちはプロジェクトを組んでその調査に乗り出しました。でも困った事に航時技術以降の人間は『揺らぎ』があるため迂闊に過去に飛んでしまうと『揺らぎ』を更に拡大しかねない。なぜなら時空震以外の揺らぎがまったく無い時代に別の『揺らぎ』を持ち込むことになるから。だから未来人の直接のアプローチは最低限にして航時技術発明以前の過去の人間にそれを託すことにしたんです」
「それに朝比奈さんが選ばれた?」
「ええ。もちろん選ばれたのはわたしだけではありません。わたしはさっきも言いましたが、ジョン君や涼宮さんのそばに居る人間ってことで選ばれんです」
 他に関しては『居るらしい』としか判らないし、判っても口外する権限は無い。ただ、この時代に居るとは限らないんだそうだ。
「でも、選ばれた事で朝比奈さんに行動に制約が加わったりしなかったんですか?」
「制約が加わるのは教えてもらった未来の技術や知識に関してだけで、普段の行動に制約なんてありませんよ」
「そうですか」
「うふ、心配してくれたんですね」
「いや……」
 元の世界の朝比奈さんは割とそれで苦労してたみたいだから。でもそれは朝比奈さんが未来人だったからなんだよな。
 こちらの朝比奈さんはこの時代の人間だから、その部分は別にナチュラルにしていていいわけだ。なるほど。


 なにやら未来が大変らしいが、どうやら俺が生きているうちに起きるようなことではないようだ。
 朝比奈さんもその辺は割り切って考えているらしく、未来の事態を憂いて暗くなったり責任を感じて緊張したりとかしていないようだった。
「いえ、あまりに先の話で実感が無いだけなんですけど……」
 朝比奈さんはそう言って苦笑した。
 結局、未来のことは未来の人間に頑張ってもらうしかあるまい。
 それより、俺の問題だ。
 結論を言うと結局、手詰まりなのだ。
 古泉が超能力を獲得し、朝倉は万能宇宙人だったことを俺に明かし、朝比奈さんは未来に行って時間跳躍能力を身に着けて帰ってきた。
 こう言えばなにやら、どんなことでも出来そうに思えてくるが、元々俺の目的には役に立たない古泉はともかく、実は万能宇宙人インターフェースであった朝倉でさえも、わかりやすい言葉のわりに全然判らない説明でそれは出来ないと宣言してくれたのだ。
 朝比奈さんの説明だと、元の世界では三年前にあったという断層のようなものが、俺が此処に戻された20日あたりに在るという話だった。こっちの方がまだ判りやすいが、結局、宇宙人でも未来技術でも無理だって事を多角的に証明されたようなものだ。
 過去に戻って改変前の長門に助けてもらうには、そこを超えなければならない。
 なのに、『位相のズレ』とか『揺らぎ』とか、話がやたら大きくなっていて、過去に戻って改編前の長門に助けを求めるなんて単純な話では済みそうにない。まあ助けを求めに行くこと事体無理だと言われているわけだが。
 ついでに言うと、元の世界の連中のトンデモぶりを知っている俺としては、レギュラーメンバーのキャラが弱い気がしていた。
 朝倉はアレだからまあ何ともいえないが、たとえば、古泉はまだ駆け出しの超能力者で組織のバックアップがない分、非常時に頼りにならない。
 朝比奈さんは、ここでは元々普通人ってことで一般常識があるのは俺的には全然OKなんだが、常識的な分、未来人的なアドバンテージは弱いといわざるを得ない。
 長門に至っては唯の内気な女子高生だ。そういえば長門が一番極端だな。

 でだ。
 俺はここへきて急速に事態が展開か? なんて期待していたんだ。
 確かに状況は一変したと言えなくも無い。
 だが、逆に言えば、これだけの面子が揃ったにもかかわらず、何も出来ないってことを突きつけられたのだ。
 これは、俺にとってはとてつもなく大掛かりな肩透かしだった。