あなたと生きる道志摩子はみてる No.130 [メール] [HomePage]
作者:bqex
投稿日:2009-04-25 23:34:28
(萌:0
笑:0
感:2) 更新日:2009-11-21 01:50:22
【Ga:2927】に当初載せていたものです。
※マリア様がみてる「ハローグッバイ」終了後のお話で、オリジナルキャラクターが登場します。苦手な方はスルーしてください。
新学期が始まった。 講堂の裏の桜が満開で、志摩子は乃梨子とお花見をしながらお弁当を食べる約束になっていた。 乃梨子はすでに来ていて、二人でそばに腰をおろして桜を見ながらお弁当を広げる。
「もう1年たったのね」
「うん」
桜は去年と同じように咲いている。
「去年、受験に失敗して、全然リリアンに馴染めなくて……たまたまこの桜が気になって、見に来たら志摩子さんがいて……」
一つ一つ思い出すように乃梨子が言う。
「そうね。あの時、乃梨子に会えて、それからずっと一緒にいて……」
お姉さまである聖さまを送り出して、志摩子はこの桜の木の下で乃梨子と出会った。その後、乃梨子が実家を訪ねて来てくれて、マリア祭で実家の事を告白して、なかなか乃梨子にロザリオを渡す事が出来なかったけど。あれからもう1年たったのだ。
「……ねえ、志摩子さん」
ハッとして志摩子は乃梨子の顔を見る。
「何?」
「いや、どうしたのかなって」
「何が?」
「元気ないみたいだから」
乃梨子が心配そうに聞いてくる。
「そう? きっと、新学期が始まったばかりで疲れているのかもしれないわね」
「そう。それなら心配ないけど」
乃梨子はそう言った。
「あ」
志摩子は思わず声を上げた。乃梨子が訊く。
「どうしたの?」
「いえ……何かが今、こちらを見ていたような気がして……」
志摩子は辺りを見回す。
「何かが? 私は何も見えなかったけど」
乃梨子も辺りを見回す。
「気のせいだったみたいね」
志摩子はそう言ってご飯を口に放り込んだ。
ある日の放課後、薔薇の館に集まった。 乃梨子以外の全員がそろっている。 菜々ちゃんと瞳子ちゃんがお茶を入れてくれる。
「この前まで3年生なんてずっと大人なんだって思ってたのに、いつの間にか私達が3年生とはね」
黄薔薇さま、由乃さんがしみじみと言う。
「そりゃあそうですよ。いつまでも1年生じゃ困るじゃないですか」
当たり前の事を紅薔薇のつぼみ、瞳子ちゃんが答える。
「あら、2年生には2年生の気苦労ってものがあるのよ。たとえば、さっさと妹を作りなさいってな具合にね」
あなたがそれを言いますか、と言うように瞳子ちゃんが由乃さんをちらりと見る。
「まあ、私が言えた義理ではないんだけどね。部活でちょいちょい抜けちゃうのも、1年生を妹に迎えたのもみんな私ですからね」
笑いながら由乃さんはそう言ってお茶を飲む。
「瞳子、焦らなくていいんだよ」
黙って聞いていた紅薔薇さま、祐巳さんが言う。
「この子を心から妹にしたいと思った時に申し込めばいいの。山百合会幹部に向いていそうとか、私が卒業するまでとか、そんなのはどうでもいい事なのよ」
祐巳さんはそう言ってお茶を飲む。
「もし、ちょっとでも気になる子がいたら遠慮なく薔薇の館に連れていらっしゃい。私達もそういうお試し期間があったわけだし、お手伝いをしてくれた子を必ず妹にしなければならないって事はないのだから」
去年、お手伝いに来ていた可南子ちゃんは結局誰の妹にもならず2年生になった。 その事を言っているのだろう。
「わかりました。そういう下級生が出来た時には」
瞳子ちゃんはそう言って席に着いた。
「あら、祐巳さん、落ち着いていられるのも今のうちよ。瞳子ちゃんが妹を連れてきてきたら、瞳子ちゃんをはさんで向こうとこっちで大変な事になるんだから」
由乃さんはお姉さまの令さまを挟んで、令さまのお姉さまである江利子さまとはライバルだと公言してはばからない。
「そうとは限らないと思うけど? 私は蓉子さまには可愛がってもらったし、それに瞳子が選ぶ子だもの。どんな子だって受け入れるわ。もしかしたら、うんと可愛がっちゃうかも」
祐巳さんは微笑む。 それがちょっとだけ由乃さんには面白くないらしい。
「あら、じゃあ、瞳子ちゃんの妹を祐巳さんが可愛がりすぎて瞳子ちゃんが嫉妬する修羅場になるかもね」
「またあ、由乃さんてば」
祐巳さんがちょっと渋い顔をする。 瞳子ちゃんはすまして、どうって事のない話として聞き流しているように振舞っている。 2人とも口に出しては言わないが、去年、祐巳さんとそのお姉さまである祥子さまが気まずくなった原因の一つに、瞳子ちゃんが2人の間に割って入ったからだという噂があった。
「でも、そういう意味で言ったら志摩子さんは大変よね」
「え?」
急に話を振られて志摩子は戸惑う。
「だって、聖さまの向こうには卒業して誰もいなかったし、乃梨子ちゃんの向こうにも誰もいなかったのに、急に乃梨子ちゃんの妹が出来るのよ。いきなりライバル出現だもの。それとも修羅場になるのかしら?」
志摩子のお姉さま、聖さまは3年生になってから志摩子を妹にしたため、白薔薇ファミリーは長い間2人しかいなかった。そして、志摩子は由乃さんの言うように姉妹の姉妹を持った事がなかった。
「え、ええと……」
「遅くなりました」
乃梨子がビスケットの扉を開いて入ってきた。
「どうしたの?」
「すみません、ちょっと寄り道してて、遅くなりました」
乃梨子がぺこりと頭を下げる。
「いいわ。始めましょうか」
乃梨子は席に着く。
今、志摩子は助かったと思った。 何故、そんな事を思うのだろう。 乃梨子が妹を作る。それは白薔薇のつぼみとしてはごくごく当たり前の事で、自分が何も言わなくても妹を作るだろう。 でも、何故自分は今までそれを考えた事がなかったのだろう。 何故、自分はそれを今考えてしまったのだろう。 考えてしまった時明らかに動揺している自分がいる。
去年とは違う、何かが志摩子の心のずっと奥にほんの小さくあった。
マリア祭が終わり、翌日の昼休み。
「お姉さま、お話があります」
薔薇の館でお弁当を食べていると、一足先にお弁当を食べ終わった乃梨子がそう言って切り出した。
「何かしら?」
「お姉さまに紹介したい人がいるんです」
乃梨子はちょっと顔を赤らめて言った。 志摩子にはそれがどういう事がわかった。 最近、放課後薔薇の館に遅れてきたりする乃梨子。 昼休み、お弁当を食べ終わると飛び出していった乃梨子。 それはそういう事なのだと理性では理解できた。 しかし、一瞬頭を何かで殴られたような気になった。
「そう」
「それで、今日の放課後にお時間をいただけませんか?」
「……いいわ」
「じゃあ、講堂の裏で」
そう言って乃梨子は飛び出していった。 ビスケットの扉を見つめながら、志摩子は心のずっと奥にある、気づかないようにしていた何かにまた、気づいてしまった。
乃梨子にロザリオを渡せなかったあの日、心の中に吹いてきたハッカ飴のようなスーっとするものとは違う。 これはなんだろう。 志摩子は心のずっと奥にあるそれがほんの少しだけ大きくなったような気がしていた。
あっという間に放課後がきてしまった。
3年生にもなると掃除は要領よく割り振りされ、すぐに終わってしまう。そして、お節介なクラスメイト達によって、掃除日誌は取り上げられ、薔薇の館か委員会に送り出されるのだが、今日は講堂の裏の、あの桜の下に向かう。
乃梨子はまだ来ていなかった。
桜は既に散っていた。 それでも志摩子は桜を眺めていた。 それはちょっとの間だったのかもしれないし、随分と長い間だったのかもしれない。
ふと視線を感じてそちらを見ると、そこには小さなお地蔵さまがいた。
こんなところに、お地蔵さま?
こんなもの、こんなところにはなかったのに。 志摩子が首をかしげていると乃梨子が走ってきた。
「ごめんなさい、お姉さま。お呼び出しして遅れてしまって」
息を切らして乃梨子が言う。
「いいのよ。別に走らなくても」
乃梨子は一息ついた。 そして、乃梨子はよいしょとお地蔵さまを抱えると志摩子の目の前に置いた。
「お姉さま、私が妹にしたいと思った下級生を紹介します」
乃梨子は言った。 志摩子は意味がわからなかった。
「彼女は1年桃組の大仏みろくさんです」
この場には乃梨子と志摩子、そしてお地蔵さましかいなかった。
「みろくは敬虔な仏教徒で今まで仏教系の学校に通っていたんですが、ご両親の都合で東京に来る事になって。で、本当は向こうで通っていたのと同じ系列の花寺に入りたかったそうなんですが、花寺は男子校で、代わりにって紹介されたリリアンに入ってきたんです」
乃梨子は笑っているが、志摩子は全然笑えなかった。
「乃梨子」
「はい」
「これは、何の冗談なの?」
「いや、冗談じゃなくて、私、みろくを妹にしたいんです」
乃梨子は戸惑った表情になる。
「本気で言っているの?」
お地蔵さま相手に。
「本気で言っています」
お地蔵さま相手に。
「ロザリオをあげたいというの?」
お地蔵さま相手に。
「ええ。お姉さまさえよければ、今すぐここでロザリオを渡したいと思ってます」
お地蔵さま相手に。
志摩子は乃梨子に背を向けると無言で走り出していた。
乃梨子に余計なプレッシャーを与え過ぎてしまったんじゃないだろうか? 乃梨子は妹なんか作りたくなかったのに、それが重圧になって、でも、割り切って妹を作る事なんかが出来ずに、だからといって……
「お地蔵さまだなんて……」
仏像が好きだからと言って、お地蔵さまを抱えてきて妹にしたいと言うとはひど過ぎる。
志摩子は気がつくと銀杏並木のところまで来ていた。 ここから一歩踏み出すとそこは大学の敷地、聖さまの学び舎である。
偶然出てきた集団の中に私服姿の祥子さまを見つけた。
くるりと振り向き駆け足で高等部の敷地に戻る。 少し走ると志摩子は足を止めた。 去年もこんな事があった。思い出して自分が滑稽になる。さて、どこへ行けばいいのか── 気がつくと薔薇の館の前に立っていた。今日も集まりがあるのだが、このまま乃梨子と顔を合わせる気には到底なれなかった。
「ごきげんよう」
菜々ちゃんが急ぎ足で到着した。
「菜々ちゃん。今日は急用ができたから帰ると伝えてもらえるかしら」
「あれ? お入りにならないのですか?」
「ええ。では、急いでいるから。ごきげんよう」
そう告げると志摩子は教室に置いてきた鞄を持って帰った。
その数日後。 今日は会合はない、由乃さんがわざわざ訪ねて来てくれて志摩子にそう言った。 その日は委員会の集まりがあって志摩子はそちらの方に顔を出した。 乃梨子とは毎日薔薇の館で会ってはいたが、最低限の言葉を交わす以外の事はなかった。 乃梨子もお地蔵さまの事は何も言ってこなかった。 だから、気が回らなかったのかもしれない。
委員会が終わり、志摩子は薔薇の館に足を向けた。階段を上って行くと誰かいるらしく、笑い声がする。
「ごきげんよう」
扉を開けて志摩子は硬直した。
そこにいたのは祐巳さん、瞳子ちゃん、ボーイッシュな少女、そして、あのお地蔵さまだった。 志摩子は立ち尽くしている。
「ごきげんよう」
祐巳さんと瞳子ちゃんが同時に返す。
「今日は、山百合会の活動はなかったって……」
「ええ。だから今日は個人的な集まりよ」
志摩子がうめくように言った言葉にさらりと祐巳さんが答える。
「由乃さんと菜々ちゃんは剣道部で、瞳子も演劇部でそれぞれ忙しいから助っ人を頼もうと思って瞳子の知り合いを連れてきてもらったの」
志摩子はめまいを覚えた。 そして、初めて薔薇の館を訪れたあの日、聖さまが烈火の如く怒ったあの時の事を思い出した。
「……ごめんなさい、外してくださるかしら」
かろうじてそれだけ言った。 祐巳さんに促され、瞳子ちゃんがよいしょとお地蔵さまを抱え、ボーイッシュな少女を連れて出て行った。 志摩子は2人と1体が出て行くと膝から崩れ落ちた。
「志摩子さん」
祐巳さんが志摩子の手を取って立たせようとする。
「……乃梨子から聞いたのね?」
しゃがみ込んだまま、志摩子は訊いた。
「何の事?」
祐巳さんが知らなければ瞳子ちゃんが世話を焼いたという事に違いない。
「それで、来るの?」
「彼女達は個人的な助っ人で、私はいつでも受け入れるわ」
瞳子ちゃんが個人的なアシスタントを頼むのに反対する事は出来ない。 それは、かつての志摩子を思い起こさせた。
翌日の放課後から彼女達はやってきた。 乃梨子も知らなかったらしくびっくりした顔をして、その後志摩子の顔を見てきた。
「本日よりお手伝いをお願いした1年李組の吉良美知恵ちゃんと1年桃組の大仏みろくちゃんです。私がいない間もこちらでお手伝いをしてもらうつもりです」
瞳子ちゃんに紹介され、美知恵ちゃんは頭を下げ、お地蔵さまは……お地蔵さまだ。
「お姉さま、わがままを言って申し訳ありません」
「いいのよ。その代わり、いいお芝居をしてちょうだい」
「はい。では、私はこれで失礼します」
祐巳さんに挨拶をすると瞳子ちゃんは演劇部の方に行ってしまった。
この時期、演劇部は全国大会に向けての大事な時で、その大会までの間、瞳子ちゃんはそちらを優先する事になっていた。 美知恵ちゃんとお地蔵さまは主に瞳子ちゃんの代わりに祐巳さんのアシスタントとして仕事をする事になった。
その日以来、薔薇の館では奇妙な光景が繰り広げられていた。 由乃さん達が部活でいない日は祐巳さんと乃梨子と志摩子に美知恵ちゃん、そしてお地蔵さまの3人と1体がお仕事をしていた。
まず祐巳さんがよいしょとお地蔵さまを抱えて自分の隣の椅子の上に置く。
「じゃあ、これはみろくちゃんにお願いね」
祐巳さんはお地蔵さまの前に書類を置き、次に美知恵ちゃんの前に書類を置く。美知恵ちゃんは書類を片付けていく。 志摩子も自分の作業を始め、祐巳さんと乃梨子は各部との折衝に出かける。
祐巳さんも人が悪い。お地蔵さまが書類を片付けられるはずがない。 あれはきっと祐巳さんか乃梨子が後で片付けるのだろう。 そう思いながらチラチラと志摩子はお地蔵さまの方を見る。
ふと見るとお地蔵さまがいない。首を回してみるとお地蔵さまが流しに立っている。 美知恵ちゃんが移動させたのかしら? と思いながら書類に目を移す。 そして、飲みかけの紅茶の入ったカップに手を伸ばすと新しい紅茶が入っている。
顔を上げるとお地蔵さまが席についている。 あれ、また移動せたのかしら。わざわざ、なんのために? そう思って首をかしげていると、美知恵ちゃんが聞いた。
「白薔薇さま、何か?」
「ううん、なんでもないわ」
気がつくとお地蔵さまの前にあった書類が片付いていた。 志摩子は自分の書類に目をやったが、まるで書類の内容など頭に入って来なかった。
お地蔵さまが薔薇の館に来るようになってから、志摩子は普段もあのお地蔵さまを見かけるようになってしまっていた。 移動教室で、1年生の廊下で、中庭で、図書館で。 気にしないようにしていても目につく。 そして、心のずっと奥の方にあった何かがずしりと重い石のお地蔵さまとなって、そのお地蔵さまを気づかせてしまう。
「ただ今戻りました。各部の書類です」
乃梨子が戻ってきた。
「ご苦労様」
乃梨子はあれ以来、お地蔵さまの事を何も言わなくなってしまった。 普通の会話は交わすのだが、お地蔵さまの事だけは何も言わないのだ。 志摩子も何も言わなかった。
ある日の放課後、薔薇の館の階段を上って行くと誰かの泣き声がした。
そっと扉を開いてのぞいてみると祐巳さんにしがみつき、瞳子ちゃんが泣いていた。
「瞳子、美知恵ちゃんは悪くない。可南子ちゃんも。これは誰も悪くない事なのよ」
祐巳さんが子供をあやすように瞳子ちゃんに言っている。 瞳子ちゃんがいやいやというように首を振る。
「そうよね。わかっていてもつらいわよね」
祐巳さんが優しく言う。
「でも、美知恵ちゃんは可南子ちゃんの妹になったのだから」
瞳子ちゃんは美知恵ちゃんに振られてしまったらしい。
「お姉さまだって、1回断られた後、私と出会って姉妹になったんだから、まだまだこれからよ。姉のいない下級生で瞳子と出会ってない子はまだいるんだから」
そう言いながら祐巳さんの頬を涙が伝った。
「ぅわああぁ……!!」
瞳子ちゃんが号泣する。
可哀相だけど、祐巳さんと瞳子ちゃんがうらやましかった。 相手は人間の女の子なのだから。 そうであったら自分だって、受け入れたかもしれないのに。 乃梨子は何故お地蔵さまを妹にしたいだなんて言ったのか。 あれはダメだ。
志摩子はそっとその場を離れた。階段を降りると乃梨子が入ってきた。
「どうしたの?」
「……祐巳さんと瞳子ちゃんがお取り込み中みたいだったから」
「そう」
あのお地蔵さまの件以来、志摩子は乃梨子と初めて2人になった。
「……」
「……」
「あの」
2人は同時に言葉を発した。
「志摩子さんから」
「乃梨子から」
乃梨子が言った。
「あの、考えたんだけど、あの時私、ロザリオを貸してって言って受け取ったわけだし、だから、このロザリオはやっぱり、志摩子さんのものだから。でも、ロザリオを返すなんて事しないから安心して。あの時言ったように志摩子さんのそばにくっついて離れないのも本当だし」
乃梨子は早口になってくる。
「でも、これは志摩子さんのロザリオだし、私の妹は、志摩子さんが卒業するまで私と一緒に志摩子さんにくっついている子だから、だから、志摩子さんが納得できない子は私がどんなに好きでも、妹にはしないから……安心して」
「乃梨子」
「みろくは、妹に、しないから……」
「乃梨子……」
乃梨子の目から涙がこぼれ落ちた。 涙を流す乃梨子を見て志摩子は辛くなる。 だが、乃梨子がちゃんと人間の女の子を選んでくれたらこんな思いはさせなかったはずだ。
「乃梨子は、どうしてもお地蔵さまがいいの?」
思わず口をついて出た。
「お地蔵さま?」
乃梨子は聞き返す。
「妹にしたいって持ってきたあれよ」
「そんな、みろくを物みたいに言わないで」
乃梨子は涙を拭いて反論する。ちょっと怒っているようだ。
「あなたにはそうかもしれないけれど、私にはお地蔵さまよ」
「お地蔵さまって……そんなにみろくの事、嫌いなの?」
乃梨子はうつむいてしまった。
「嫌いとか、そうじゃなくて、あれは論外でしょう」
「論外って。でも、みろくだって、好きでリリアンに入ったわけじゃないんだから、そんな言い方しなくたって」
乃梨子は顔を上げた。今度ははっきり怒っているのがわかった。
「あ」
「ちょっと、どうしたの? こんなところで固まって」
菜々ちゃんがよいしょとお地蔵さまを抱えて入ってきて、由乃さんが続いたところだった。
「……なんでもないんです」
不機嫌そうに目を真っ赤にした乃梨子は言った。
「なんでもないって……志摩子さん、どうしたの?」
由乃さんに聞かれて志摩子はうつむいた。
ゴトリ、とお地蔵さまの音がする。
お地蔵さまが動いたわけではない。 志摩子の心の中にいるお地蔵さまがゴトリと音を立てたのだ。
「乃梨子、もう、みんなを巻き込むのはやめましょう。菜々ちゃんも、由乃さんも」
「何を言ってるの? 志摩子さん」
由乃さんが聞いてくる。
「お地蔵さまを薔薇の館に持ち込んで、何のつもりかわからないけれど、もう、こんな事やめましょう」
「お地蔵さま?」
黄薔薇姉妹が声をそろえて聞いてくる。
「そこのお地蔵さまの事よ」
菜々が抱えているお地蔵さまを指す。
「みろくちゃんがどうしたの?」
由乃さんが聞いてくる。
「だから──」
「志摩子さん!」
乃梨子が叫んだ。 志摩子は乃梨子の方を向く。 乃梨子はゆっくりとロザリオを外し始めた。
「!!」
志摩子は由乃の脇をすり抜け薔薇の館を飛び出した。
何故、こんな事になってしまったのだろう。
気がつくとあの桜の木の下で、志摩子は泣いていた。 あの日と同じように雨が降り出した。 あの日ここに乃梨子が来てくれた。 そして志摩子はロザリオを渡した。
でも、今、乃梨子が来たら──
志摩子は一人で泣いた。 どれくらい時間が経っただろう。
寒い。
でも、もう、乃梨子は志摩子の隣にはいてくれないのだ。
寒い。
心の中のお地蔵さまがどんどん大きくなっていく。 それはずっしりと重くなり、志摩子を押しつぶしてしまっていた。
重い、寒い……
今まで乃梨子が一緒に背負ってくれていた重い物が一気にのしかかったような重さ。 もう、志摩子は全く身動きが出来なくなっていた。
気がつくと、志摩子はベッドに横になっていた。 ベッドの脇にはショートカットが似合う少女が自分の事を心配そうに見つめていた。
「あ……」
辺りを見回す。どうやら保健室に運ばれたようである。
「白薔薇さまが目を覚まされました」
少女はそう言って奥の方に呼びかけた。 乃梨子がひょこりと顔を出す。
「乃梨子」
「よかった。目が覚めて」
乃梨子の手には濡れタオルがあった。乃梨子はそれを志摩子の額に乗せる。
「ええと……」
「志摩子さん、ずぶぬれになってて熱もあったからここまで二人で運んできたんだよ。志摩子さん家にはさっき電話したから」
「ごめんなさい」
「ううん。でも、まさか志摩子さんが飛び出していくとは思わなかったから」
乃梨子が言った。
「それは……あなたが……」
「もしかして、私がロザリオ返すとでも思った?」
乃梨子の言葉に志摩子はうつむいた。
「それはゴメン。でも、もう、返すロザリオなくなっちゃった」
「え?」
乃梨子の言葉に志摩子が聞き返す。
「みろく。見せてやって」
ショートカットの少女が首にかけたロザリオを志摩子に見せる。 それは志摩子が聖さまから貰って、乃梨子の首にかけてやったロザリオだった。
「あの時、みろくを守ってやりたくて、それで、妹にしちゃえばいいかなって、思って、その……勝手に、ごめんなさい」
乃梨子は頭を下げた。
「乃梨子、お地蔵さまはもういいの?」
志摩子は訊いた。
「は? いや、だから、ロザリオならみろくにかけたから」
困惑したように乃梨子が答える。
「それは石でできたお地蔵さまでしょう? この子はどちらさま?」
ショートカットの少女も困惑した表情で志摩子を見ている。
「いや、だから、この子がみろくでしょう?」
乃梨子はショートカットの少女を指して言う。
「ええっ!? じゃあ、あのお地蔵さまは何?」
「だから、お地蔵さまって何?」
志摩子は今までの事を説明した。 乃梨子がお地蔵さまを持ってきて妹にしたいと言った事、薔薇の館にお地蔵さまが手伝いにやってきた事、飛び出す前もお地蔵さまが抱えられて入ってきた事……
「えっ!? じゃあ、志摩子さんにはみろくがずっと石のお地蔵さまに見えていたって言うの?」
乃梨子は頭を抱えた。
「ええ。ずっと見えていたわ。今はショートカットの女の子に見えるけど」
「みろくはずっとショートカットの女の子です」
乃梨子はがっくりと肩を落とした。
結局、あれはなんだったのだろう。 翌日、熱が下がって登校した志摩子が聞いて回ったところ、みろくちゃんは志摩子以外にはショートカットの少女だったらしく、お地蔵さまに見えていたのは志摩子だけだったらしい。
「志摩子さん、お地蔵さんがリリアンに通えるはずないでしょう?」
とは由乃さんの言葉。
「いくら乃梨子ちゃんでも、妹にお地蔵さんはないでしょう」
祐巳さんが呆れたように言う。
「でも、お地蔵さまがお仕事したり、お茶入れたりするところ、見てみたかったかも」
と菜々ちゃんが言う。
「じゃあ、私の次の妹候補はお姉さまにはマネキンに見えるかもしれませんね」
クスリと瞳子ちゃんが笑う。
「まあ、とにかく、新しい仲間の誕生を祝って乾杯よ」
由乃さんが言う。
「では、乃梨子とみろくちゃんとの姉妹誕生を祝って乾杯」
全員で紅茶で乾杯する。
乃梨子が笑っている。 隣でみろくちゃんが笑っている。 2人を見ているとみろくちゃんが気付いてにっこりとほほ笑んだ。
その時不意に志摩子は気づいた。 みろくをお地蔵さまに見せていたのは自分の心だと。 そして、それは嫉妬だったのだと気づいた。
帰り道、マリア様の前でみろくちゃんは裏門の方に歩いて行った。乃梨子と二人きりになる。
「乃梨子」
志摩子は言った。
「お地蔵さまとでもでもみろくちゃんとでもいいから、卒業するまでもう離れないでそばにいて」
乃梨子は答えた。
「もちろん。ずっとくっついて離れないから」
志摩子は乃梨子の手を取って歩き出した。
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